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2018年1月 インドで考えたこと

2018年1月17日から26日まで社長の糸井がインドに行って参りました。

今回のレポートでは、インド滞在中に考えたことをご紹介致します。

「インドで考えたこと」


今回はベンガロール(バンガロール)から西へ向かいハッサンという地域に入った。周辺は、ババブータン伝説のある地域で、コーヒー生産に長い歴史を持つ。
行った先は3代にわたる農園経営をしている一家であり広い地域を持っている。
インドの宗教は主にヒンズー教で、道すがらたくさんの祠が見受けられる。象の神様はその代表的なもので、日本でも知られている。今回は農園主のうちに泊まらせていただいたので、あるインドの家庭の生活の様子が垣間見られた。

このエリアにコーヒー生産をもたらしたのは当時の宗主国であったイギリス人である。
同じく統治していたケニアにスコットラボラトリー(Scott Laboratories)というコーヒー研究所があり、そちらよりケント種という品種が持ち込まれた。SL品種はこの研究所の名前に由来している。
その際イギリス人は単一種を広範囲に植えることは生態系に良くないと考え、また敢えて樹の剪定を低めに設定した。今多く見受けられるのは、シルバーオークというシェードツリー、130-150cmのコーヒー。シルバーオークに絡まる胡椒。この3つの組み合わせの光景が続く。
さらにコーヒーの横枝も適宜取り除くので、1本当たりの収量は少なくとも栄養のいきわたったおいしさのあるコーヒーが作られる。
この農園主一家は先代がイギリス人よりそのコーヒー園を譲り受けた。
インドが1947年にイギリスより独立したのでその後のことになる。農園主のご自宅は小高い山の上にあり、地所のコーヒー園が見渡せる。最初にイギリス人が建てたので俗にいうコロニアル様式で、庭には噴水があり、バラなどが植えられている。またマネージャーと総括マネージャーの服装はお揃いの半ズボン、ハイソックス、ポロシャツで、かつての植民地時代の警察や軍隊の姿をほうふつされる。マネージャークラスは美しい英語を話す。
農園主に、かねてより関心を持っていたインド人について聞いてみた。
一人はあのガンジー、もう一人はスバース・チャンドラ・ボーズである。(ラースビハリー・ボース=中村屋のボースは別人。)
ガンジーについては周知のことと思う。スバース・チャンドラ・ボーズは1900年代に活躍した政治家、活動家で1943年日本にも来ている。その際インドの独立への協力を日本の要人に依頼した。その後彼は、日本から武器供与などの援助を受け、インパール作戦にも同行し仏印からインドへ独立戦線を指揮したとされる。
無抵抗主義という平和主義の政治家と、武器を持って武力で戦った活動家―全く違う二人をどう思うか、と聞いてみた。高齢の農園主はどちらも最も尊敬されるべきインド人だと答えた。
かつてイギリスが統治していた頃は、ヒンズーの神様にお参りして簡単なお祈りの言葉を言うだけで牢獄に入れられたと聞いた。今平和であることが素晴らしいと語った。「シャンティ(平和)」と何度も繰り返した。
その後農園を回っていていきなり気が付いた。この広大な農園のコーヒーと胡椒。これらはイギリス人ためのものだったのだと。東インド会社がヨーロッパにもっていき莫大な富を得るためのもの。ほかの地域で生産されていた紅茶もイギリス人にため。アヘンは中国を廃退させるためのもの。そこにはもともとのその土地の生活者・所有者に対する思いや利益還元はみじんもない。
今ラテンアメリカやインド、アフリカでコーヒーはその国の人たちのものとなった。少し世の中がよくなったということか。オイルも欧米が長い間仕切っていた。中東の成金ぶりには驚かされるが、すべて持っていかれていたことへの反動なのか。もちろんすべて持っていかれるより、消費の自由があるほうが100倍よい。
21世紀はインドの時代と言われる。喧騒と深い思索の混じる国。仏教とヒンズー教の興廃も知りたくなってきた。